6-3a2 How you have something can (and will) matter more than what (you think) you have (e.g., DEX vs CEX - DEX will counter Maximalists movement)
All fiat currencies have the same risk - its governments printing more money
2-1b2b5 Know the correlations between your bets. Holy grail is fifteen or so uncorrelated bets.

At least pre-crypto
Compare withSpitznageldevelop
Remember: 7-1d2a5 Tech shapes tech and market is also technology

  • 1933 & 1971: breaking away of dollar from gold then printing money led to increase in financial asset price
    • 1971: ニクソンショック
      一九四四年七月にニューハンプシャー州ブレトン・ウッズ会議で、新たな設立の組み立てが決議されたIMF(国際通貨基金)と世界銀行による「ブレトン・ウッズ体制」だ。この符牒はまことに象徴的だ。おそらくソロスの思想はこのときに宿命的に始まっていたのだと思われる。
      ブレトン・ウッズ体制は、大恐慌後のブロック経済によって世界の貿易経済が縮小したことをたてなおすとともに、国際通貨システムの秩序の回復をはかるべく為替レートを安定させ、貿易障害となっていた経常取引による為替規制を取り払う役目を担うものだった。こうして一応は、戦前までの「保護・差別・双務主義」は「自由・無差別・多角主義」に移行した。
      IMFは、加盟国の国際収支上の不均衡(つまり外貨準備不足)を補填する融資をおこなうことによって、当初はめざましいバランス装置として機能した。しかし、問題はこのあとにおこっていく。
      この体制は、いまだ固定相場制のもとでのドルと金の価値を強固に結びつけるものだったのだ。金一オンス=三五米ドルの、つまりは“金=ドル本位制”なのである。だからこのアメリカ中心の“金=ドル本位制”が機能しているあいだは、また国際経済がアメリカの独走とソ連の抑制を是とするかぎりはそれでもよかったのだが(つまり二極体制の一方に加担しているかぎりはいいのだが)、しだいにドルの実質価値が低下していくと、おかしくなった。とりわけ、ベトナム戦争の戦費拡大によってアメリカの財政収支がいちじるしく悪化すると、ドルの信認はどんどん下がりはじめた。
      これが限界だった。なんとかこれに歯止めをかけようとしたのが、いわゆる「ニクソン・ショック」(ドル・ショック)である。一九七一年八月、ニクソンはフリードマンの進言を受けてドルと金との交換を停止してしまった。かくて世界の主要国はいっせいに「変動相場制」に移動した。ブレトン・ウッズ体制はあっけなく崩れた。
      それならIMFが世界の通貨安定を支えるという役割も終わってよかったわけである。ところが直後に二度にわたっての「オイル・ショック」(石油危機)がおきたため、非産油諸国の経済状況が急激に悪化した。IMFはそのまま融資機関としての役割をずるずると拡大させてしまい、八〇年代にはラテンアメリカ諸国の債務危機に出動、九〇年代には一二三二夜の『反米大陸』(集英社新書)でもふれたように、構造調整融資の名目のもと、アメリカの南米コントロールのための介入などが巧妙にも執行されていったのだった。またしてもフリードマンの進言によっていた。
      それでどうなったのか。さまざまな国の資本収支危機が露呈して、その一方で、各国の「経済の自由化」「市場の自由化」がIMFプログラムの執行によって拍車をかけられた。あきらかに過剰な勇み足か、失敗である。
      IMFは国際調整をいつまでも謳い文句としながらも、リフレクシビティを発揮することなく、まして、そこにファリビリティ(誤謬性)を認める視点をもつ者も少ないままに、金融工学的乗り越えに軌道転換していった。ソロスはそうしなかった。ソロスはファリビリティを含ませた投資計画によって、事態を乗り越えた。その計画にはIMFや世銀の失敗は織りこみずみだったのだ。
  • 2008 & 2020: central banks printed money and financial asset price increased